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1 ご挨拶

 このウェブサイトは,コンピュータシミュレーションをきっかけに科学の勉強をしている人や,またはこれからしてみようという人を支援するために運営しております。2004年8月07日より,タイトルを Personal CAE Project に改め,より CAE を指向したサイトを目指して運営していく予定です。

 サイエンスやエンジニアリングにおいて,コンピュータは便利な道具でありいろいろな活用方法があります。計算に使ったり,可視化して思考の手助けに使ってみたり,あるいは見ず知らずの人とのコミニュケーションに使うこともできます。

 学校教育の現場では,実験や実習がほとんど駆逐され,また実社会で必要なお金,法律,経済,コミニュケーションなどの教育は全くなされていません。そのような学校教育のために数千万円の投資をして時間と若さを消費してまで過度に受験勉強するほどの価値があるというのでしょうか。

 コンピュータを利用すれば,学校で学ぶ以上に勉強できることだってあるでしょう。
 しかしながら,コンピュータから始めても,サイエンスやエンジニアリングといったリアルな学問をやる以上,必ずリアルな世界の必要性に気が付くときが来ます。

 シミュレーションだけではなく,実際に実験したらどうなるだろう?
 インターネットでミニュケーションをしていたが,実際に会ってもっとたくさんの話を聞いてみたくなった
 勉強してみたい対象がわかったから,やっぱり学校に行って勉強してみようか。
といった具合に,まじめに取り組んでいれば,いろんなことが経験にそして勉強になっていきます。最初はコンピュータから入ってもいいと思うのです。

 現在インターネット上では,ハンドルネームを使うことで気軽にコミニュケーションすることが可能になってきました。しかしながら,匿名でのコミニュケーションで得られる成果には限界があり,その限界はかなり早い段階で訪れるでしょう。これは通過点です。次は実名でコミニュケーションする段階が待っています。ネットワーク上に存在する掲示板でコミニュケーションするより,実際に人と会って話をするほうがはるかにやり取りできる情報量が多いからです。

 目下インターネットが抱える大きな問題は,コミニュケーションの能力が未成熟な一部の人間が,無責任に言いたい放題やりたい放題振舞うことで,掲示板という便利なネットワーク・コミニュケーションの場が破壊されていることです。また自分自身が,コミニュケーション能力が未成熟であることを自覚しないまま掲示板に書き込みを行い,ひんしゅくを買ってしまうケースも後を絶ちません。このことは,コミニュケーション能力に問題があると,本題にすら入れなくなってしまうことがあるということを示唆しています。

 一度でもリアルの世界で自分に自信をつけたなら,コンピュータをもっともっとうまく使う方法が見つかるでしょう。そして,自分の目的をひとつひとつ達成することでさらに人間的に成長していくでしょう。そのことはあなたを必ず立派な人間に変えていくことでしょう。

 学校教育は崩壊しました。大人は子供のことや将来のことを考えるより,お金のことを考えるほうが忙しいようです。これからは他人に頼っていられない時代です。自分で自分のことをもっと真剣に考えて挑戦しなくてはなりません。

 私はリアルな世界をより充実したものとするために,コンピュータというものをうまく利用していくことがこれからの時代で特に重要な課題になると考えています。パソコンの高性能化と低価格化,そして高速なインターネットネットワークの普及により,個人が数値解析の勉強に取り組む障壁は低くなりつつあります。始めるなら今がチャンスです。

2 開設のきっかけ

 学生時代,大学の研究室で研究のために解析を行うことになりましたが,市販の解析プログラムは予算を超えていたために,磁場解析プログラムを作成することになりました。プログラムもほとんど知らなかったところから,ほぼ独学により約3年間の期間を経て研究に使えるようなものが出来上がりました。

 その過程で,効率的に作業するために,非常に苦労して確定した定式化や文献等の解釈について,後から簡単に参照できるようにしたいと考えました。プログラムの改良には定式化が付いて廻りますが,これをいちいちその都度導き出すことは時間がかかり大変なことでした。また,後から行なった定式化でミスをしたことに気が付かないでコードに変更をかけることで新たなエラーの原因となったりします。つまり定式化を何度も行なうことはリスクを犯すことにつながります。

 そして同時に,自分と同じように,研究のために解析プログラムを自作している人たちにも役に立つようにと考えました。このようなケースでは,解析プログラムは研究のための道具であり,早くコードを作ってメインである研究活動を行なうことが必要だからです。コードを作ることは非常に負荷のある作業ですが,コードを作っている間は周囲は成果として見てくれないことが多く,努力している割には肩身の狭い思いを強いられているからです。残念ながら,公開されている文献は必ずしも初学者がひとりで理解できるものとは限りませんでした。このことは,予算不足に悩む,研究室の学生達にとって大きな足かせになっているのではないかと連想しました。

 そこで,自分だけでなく必要な人が,手軽に参照できるように勉強内容をまとめたノートをウェブに公開するようにしました。これがこのサイトを立ち上げたきっかけで,1999年の春のことです。

3 CAE Simulation

 現在,大学や研究機関の他に一般の企業でもコンピュータシミュレーションの運用が普及しつつあります。特に工学向けのシミュレーションの代表格は,有限要素法による構造解析,電磁場解析,差分法による熱流体解析などの分野で,総称して CAE と呼ばれています。これは Computer Aided Engineering(計算機援用設計)の略語でコンピュータを利用した設計という意味です。

 工学現象では,現象を支配する微分方程式が導かれているものがありますが,それらの多くは手計算で解析的に解くことが困難です。そこで,厳密に解くことを諦め,近似解を求めることでも工学的見地からすれば実用上問題無いではないかという発想の転換が起こりました。

 工学現象の多くは,多数の因子が結合した形をしているため,近似解といえども求解には大規模な連立一次方程式解くことが要求されます。人間の手作業では近似解を求めることも数の膨大さに阻まれて事実上不可能ですが,計算機であれば短時間で答えを求めることができます。

 計算機パワーとシミュレーション技術の進歩のおかげで,研究所や企業の一部では試験の替わりをシミュレーションが果たすようになってきています。あるいは,試験だけではわかりにくかった現象の詳細をシミュレーションにより積極的に理解しようとする動きもあります。

 シミュレーションでは,試験のように本物を用意するわけではありません。入力データとしての計算モデルを作成しておけば似たようなシミュレーションなら何度でもケーススタディを重ねることが「容易」に出来ます。もちろん,シミュレーションはあくまで計測装置や実験装置と同じ道具であるので,使用に当たっては使用者の運用能力が確実に要求されます。

 身近な例で考えてみましょう。
テレビゲームのソフトを買ってきました。
スイッチを入れた瞬間から,あなたはそのゲームをたくさんやりこんだ人と同じように遊ぶことができるでしょうか?
きっと,そういうことはありえないでしょうね。
コンピュータがやることは人間の経験は必要ないから,誰でも同じ結果を得られると勘違いしている人がいるようです。 指示された命令はコンピュータが実行するにしても,指示を出すのはあくまで人間です。 出す指示が的外れであれば,思ったより上手くは行かないでしょう。

 有限要素法の理論は 1970年代から1980年代の間に大きな前進を遂げました。そして現在,日本ではシミュレーション技術がブラックボックスとして普及する過程にあり,多くの人が試行錯誤を繰り返してブラックボックスとしてのシミュレーションの運用方法を構築する過程にあります。人材,資金,時間といった多くの先行投資によるノウハウの構築が成熟化し,解析業務が実務工程の重要な位置を占める企業も急速に増えています。

4 日本に溢れる教育難民

 シミュレーションの基礎理論については,一部の国公立大学あるいは研究意欲旺盛な私立大学で学ぶことが出来ます。しかしながら,日本の大学教育は日本国政府の無計画性と老害による無駄と無意欲化に覆われて事実上崩壊したも同然です。一部の熱心で意欲ある政策機関の方,学校の先生方そして学生によってかろうじてレベルを保っているのが現実ではないでしょうか。

 一部の私学では,学生数の減少や経営者の怠慢等により,教育内容の低下が急速に進んでおり,卒業研究を実施することが困難な大学が増え続けています。実際,卒業研究無で卒業させてしまう理系の大学が存在しています。学校でシミュレーションを勉強してきたという人は非常に少ないのが現実です。また本人はシミュレーションをやったつもりでも,単なるママゴトのような内容であることも多く,このあたりは学生の視野の狭さと幼児化も合わさって複雑かつ深刻な問題を垣間見せています。

 しかし実社会でシミュレーションの需要は急速に大きくなっており,またこれからCAEを導入しようという組織からすれば,CAE は新しい技術ということもあり,新人が割り当てられることも多くあります。このことは,学校では総じて勉強しなったという人が,シミュレーションに携わる可能性を示唆しています。

 社会では今の腐敗した学校と異なり,成果が求められますので真剣に勉強する必要があります。あるいは,学校で研究するためにシミュレーションに縁が出来たという人も大勢いるでしょう。このような人たちは,勉強のスタイルが無い上に,その組織ではなかなか相談できる人がいないという問題に直面しやすい現実があります。

 市販の教科書を買ってきて勉強しようとしても,理解が難しいところがたくさんあります。その際,周りに聞くことが出来る人がいなくて,困っているという人が大勢いると思います。

 こういう人たちを私は教育難民と定義しています。

 教育難民は企業や研究所だけでなく学校にも大勢います。そばに先生と呼ばれている人は存在しても,それは形骸でしかないこともあるからです。現にこのサイトには学生からの質問もたくさん来ます。先生に聞いても埒があかないと嘆く声をたくさん聞きました。そういう人の勉強に,役に立てれば幸いであるというのが現在のサイト運営の大きな動機です。

5 教育基盤の喪失

 情けないことですが,今の日本では学校で本気で勉強に打ち込んでいる学生が非常に少ないのが現実です。飽食の時代,自分のやりたいことを探すためと周囲に言って大学に進学したのかもしれません。しかし,実際には講義はさぼるか寝るか,おしゃべりするか,漫画を読むか・・・。普段の生活も,アルバイト,車,合コン,サークル,飲み会・・・。こんな時間の使い方のために,貴重な時間と多額のお金を浪費している現実。東京に住んで私学に通うには,理系なら 4 年間で最低でも1200万円以上のコストがかかります。

 しかし,我々日本を取り巻く現実の社会は,民主主義と資本主義経済をベースとした国際社会であり,他国が競争力をつけつつある現在,大卒学生に対する周囲の期待と要求はあがることはあっても下がることは決してありません。社会の要求と,現実の学生の実力とのギャップは大きな社会的損失に他なりません。

 本来学ぶべき場所と時期に,学ぶことを疎かにした人は,就職してから勉強の必要性を痛感せざるを得ません。この際,社会の個々の組織は必ずしもあなたの勉強をサポートするのに満足のいく環境とは限らず,ひとりでの勉強の難しさと,勉強しとけばよかったという後悔が生まれます。

 しかしながら,今の日本の腑抜けた社会情勢では,CAE をきっかけに勉強をやり直したいと思っただけでも大いに結構なことだと思います。

 これは,社会に出て,目的が明確になったために,ようやく勉強の必要性を感じたからです。はじめて自分の頭でこのテーマについて勉強をしようと考えたという人もいるでしょう。

 日本の学校教育では,勉強の目的が明確化されないので,何のために勉強するのかという疑問が常に付きまとい,結局継続して勉強することができません。それは仕方がありません。考え方が逆だからです。

 人間が生きていられる時間は有限であること,人間の記憶は時間とともに曖昧になっていくことを考えると,自分がやりたいこと(目的)をはっきりさせ,それに必要なこと(部品)をひとつずつこなして,早い段階で一度目的を達成することが大事です。このとき成果に満足できないようであれば,もう一度改めてトライすればよいことです。

 大事なことは,まずは目的を達成してみるということです。二回目はきっと一回目よりうまくいく公算が高いでしょうし,一度でも目的を達成するプロセスを経験しておけばどんなことでに対しても自信が付くものです。

 残念ながら日本人は,失敗に対する包容力が小さいという重大な弱点を有しており,何事も1回で成功しなければいけないという強迫観念を幼少の頃より強く植えつけられて教育されています。武士道の世界は1本勝負かもしれませんが,欧米のスポーツはみんな最後に勝っていれば途中は負けててもいいものばかりです。国際的な競争では,日本人のスタンダードな感覚など通用しませんし,10回やって1回成功すればいいからどんどんトライする人種と,1回の失敗が怖くて1回のトライもなかなかできない日本人とでは長期的な視野でモノを見れば,どちらが優勢かは火を見るより明らかといえます。

 また日本人は論理性に乏しく,その自覚に欠ける傾向が顕著です。広い視野に立って物事を考える姿勢が希薄で,正しい判断をするために多くの情報を分析しようとする行動が著しく欠落しています。
 この姿勢について,第二次世界大戦当時からなんら変化していないことは歴史を学べば明らかであり,日本人は進歩を非常に軽んじている実態を浮き彫りにしています。なぜなら国家がそういう教育を意図的にか結果的にかわかりませんが放棄しているためです。
 あきれたことに,なぜ学校教育が機能しないかということを,当事者であるはずの学生すら深く考えようとはしません。


6 新しい学校教育

 日本人の教育方法では,何のために勉強するのかという目的からボトムダウンして,必要な勉強を選択し,目的との距離を常に把握しながら,順次こなしていくという,社会で要求される当たり前の行動様式を無視しています。

 長期的な目的を考えることなく,単なる分類分けされた科目の教科書を念仏のように唱えたり聞いたりするだけです。こんな授業スタイルが面白いわけは無く,授業中に生徒らが先生の話を聞かなかったり,授業中に席を立って歩き回ったりなどやりたい放題です。つまり,現場の問題としては,教育手法にも問題があるのみならず,その教育手法が完全に生徒らから拒絶されているということが挙げられます。こんなことは先生にとっても子供にとっても単に不幸ですし,大いなる無駄です。

 人間は,勉強も含めてやりたいことをやっていれば自然といろんなことを学びますので,教育機関はそれをサポートできる体制を提供するよう体質改善を行なう必要があります。やりたいことをやることと我がままにやりたい放題になってしまうことを区別できない大人がいます。こういう人は他人に選択の自由を与えることに抵抗します。自由を得た他人が自分に不利益になるとでも勘違いしているのでしょうか。実際には,現状の教育方法では多くの人間がやりたい放題状態になっていることを考えると,何らかの改善案を実行に移すことが早急に必要なことは明らかです。

 例えば,植物が好きな小学5年生は,卒業まで植物の勉強を全勉強時間の80%に設定します。5年生、6年生の2年間で植物の勉強をレポートにして提出すれば卒業とすればよいでしょう。これを自由コースとしましょう。
 この自由コースの目的は,植物の勉強をしてレポートをまとめ,その過程で自分の好きなことを,自分の主体性で推進していく能力を養うこととします。80%の内容はすべて生徒の自由に構成することが可能で,選択的に用意された各科目とフィールド実習用の単位配分は生徒が親と先生と一緒に考えて決めます。
 80%のうち60%はフィールド実習とし,残り20%は学校での科目別勉強に割り当てることもできますし,80%のうち50%を学校での科目別勉強,残り30%をフィールド実習とすることなどが考えられます。
 さらに自分で勉強したい人は,学校の授業に全部出なくてもよいぐらいの自由度を持たせます。目的は社会で必要な能力を養うことだからです。

 植物の勉強だけといっても,馬鹿にはできませんよ。少し遠出をして山にでも行かないと見られないものを観察するならば,場所を探したり,現地への行き方,必要な道具の調達,必要な費用などを把握する必要が生じます。周囲が支えながらも自分の力でそういう現実社会で必要な能力を養っていきます。
これを馬鹿にできますか。
自分で地図を読めなかったり,自分で調べて不明な点を明らかにしていくことができない大人がどれほど多いことか。

 もっと生徒の将来を考えた教育を実践しなければなりません。この案では,先生は小学生のコーディネータになる必要があり,今のような授業をこなすだけの単純労働者から脱却する必要があります。学校側も天と地がひっくり返るような思考の変化が必要です。また小学生のレポートですから,学者の水準で物事を考えてはいけません。目的は先に述べたとおりであり,学者と同じ水準でレポートを書くことではありません。

 その上で,やはり自分では何をしていいのかわからないという人のために,スタンダードコースを設定します。これは学校側が用意したカリキュラムをこなすものです。現在の科目を順番にこなす現行のスタイルです。このスタイルでは,何のために勉強するのかがはっきりしないので,おそらく子供の学力は大して伸びないでしょうし,自由なスタイルで勉強している子供との人間的な能力格差は広がる一方になりかねません。
 しかし,ここでは重要な点があります。それはスタンダードコースは自分の意思で選択したという事実です。
 自分で決めて,自分がつまらないと感じればそれで成功です。こんな勉強方法ではダメなんだということに気が付くことが第1歩です。今の学校にはそれすらありません。自分で選んで失敗したとしてもそれは自分の責任なので,きっと次はもっと満足できるようになろうとするでしょう。

 今までの日本は,親がなんでもかんでも決めてしまうので,子供の自主性が育たないばかりか,責任を取るという意識が希薄で,何かあれば責任逃れと責任転嫁のことばかり平気で考える貧しい人間だらけになってしまいました。よく見れば子供の親の世代がすでにそういう調子で育て上げられた世代なので仕方ないかもしれません。

7 2つの親離れ

 これ以上,子供達を,子供の教育=受験勉強と考えているような馬鹿な大人の犠牲にするべきではありません。受験勉強で得られるものもあるかもしれませんが,そんなものは本当の社会で必要なことや学問の面白さに比べれば些細なことですし,だいたい現状のように膨大な時間とお金とエネルギーを注いで受験勉強を頑張ってみても,その後の勉強や社会生活につながる要素が少なすぎ,無駄が多すぎます。第3者が見たら,単にあなたは馬鹿ですか?と言われてしまうぐらいひどい徒労です。

 なぜこんなことがいつまでも続くのでしょうか?

 それは,日本人の母親の知性が低いからではないでしょうか。国家は経済的に成長したようですが,それに比べると母親の知性は今だ低く,頭を使うのではなく,お金を使わないと時間を過ごすことができない人が多いように思われます。つまり資本主義経済にいいように搾り取られているのです。
 やがて母親の消費行動はエスカレートし,子供が自分の見栄の道具になってしまいます。
 そうなると,子供のことはどうでもよく,自分が対外的に見栄を張れるような学校や会社に入ってくれることが母親の目的になっていきます。
 こうした母親は無自覚のまま子育てを履き違えているので,学校へ家庭教育を求めたり,家庭での学習を塾に外注しようとします。自分でやろうとはしません。

 しかしながら,子供はそういう親の態度を見逃しません。
 普通子供は成長とともに自我が芽生え,自己の責任で親離れしていきます。しかし,日本では,親の愛情が薄いことを感じた子供たちがまだ未成熟な段階で,親への信頼の喪失という形で,親離れしていきます。未成熟なまま社会を歩き出す子供達は様々なトラブルに巻き込まれたり,トラブルを引き起こしたりしやすくなります。

 このような,潜在的で深刻な問題に母親は気がついていません。それどころかうまくいかない原因はすべて他人のせいにする始末です。まったく身勝手な人が多すぎます。昔なら親は学校の先生に,うちの子には厳しくして下さいと言ったものですが,今はうちの子には厳しくしないで下さいと平気で言う親がごろごろいると聞きます。幼稚園から中学校までそんな調子です。年齢層を考えると親の世代は30−50代です。この世代が育った環境は今の受験一辺倒の環境と同じです。そういう環境で育った子供が親になるとどうなるのかという当時の危惧が現実化してきているのです。

 母親はどうして,こんなに自分勝手になってしまったのでしょうか。

 それは父親がだらしないからです。家にいる時間が長い母親は本能的に社会性を浴するものでこれは自然なことです。
 しかし,父親はそれを無視して取り合いません。父親は,会社や仕事が最優先で家庭のことを疎かにしすぎてきました。家庭で両親が知性をはぐくむ環境がありません。給料が無ければ生活できないと父親は主張するでしょうが,果たしてそんなにやって得たお金に意味があるのでしょうか。あるいは生活費のランニングコストが単に無駄が多いだけなのではないでしょうか。しかし,このことは実は日本人がいかに貧乏な生活水準に位置しているかを端的に示しています。欧米では今でも同じ職業なら日本人の倍くらいの休暇は平均的に取れるといいます。

 資本主義の世の中ですから,社会性を喪失した母親が他人に見栄を張ることで自己顕示しようとする行動に流されていくことは,容易に想像できます。

 こうしている間にも,多くの子供の才能と能力が,馬鹿な大人の犠牲になって摘まれていっています。もっと周囲が子供達を真剣に考えてあげれば,能力が伸びただろうなあと思うことだらけです。

 ではなぜ父親は家庭をおろそかにするのでしょうか。

 この問いを考えていくと,日本が生活実体として貧乏な国民国家であることを痛感せざるを得ません。会社や組織は既得権益を握った一部の人間に支配され,多くの父親達は年中朝から晩まで働かされてくたくたに磨り減らされています。自宅に戻ってくるのは深夜,週休2日は形骸化し休日出勤の常態化は当たり前です。そのようにして働いて得られる収入も抑制され,残業代が全く支給されないケースが身の回りに溢れています。それでいて企業業績がよくなったという報道を目にしますが,それは搾取構造に目をつむって都合の良いところだけ語っているに過ぎません。父親がよっぽど腹をくくって仕事と家族のどっちがより大切なのかを決めないと,社会や会社にいいように使われ続ける人生になりかねません。

 確からしいことは,真剣に社会や会社,そして社員のことを考えている人たちをよそ目に,既得権益を握った上層部の人間はおそらく国家の将来,国民,社員,そしてその家族のことなどほとんど考えていないということです。今と将来の自分の利益のことしか考えていない人間のなんと多いことか。社員などは新しく雇えばそれで済むぐらいに考えている中小企業の経営者は腐るほどいます。情報化社会が急速に進んで,今では労働問題を含む様々な社会問題を知る機会が増えています。参考:法律相談センター

 国家だの企業だのいっても所詮は箱です。箱はその中にいる人間によって意味を持ちます。長い目で見れば,人間を粗末にする社会や企業が発展し繁栄するすることはあり得ません。平家の世だって続かなかったのです。

8 CAE シミュレーションを始めてみよう

 日本人の勉強方法が無目的な基礎科目の詰め込み型であり,それらは全く効率の悪い勉強方法であることを述べました。それと同時に,勉強は学問だけでなく社会活動についてもなされなければなりませんが,そのような点での教育は学校は全く提供しません。

 したがって,現在の日本の学校教育の枠で教育を語ること自体が,国際競争時代には無駄です。
 数学だ物理だ英語だなどと勉強しても,試験が終われば忘れてしまうばかげたことに時間を使うより,土台なしに CAE シミュレーションに挑戦してみたいと思うほうが自然なことです。

 CAE シミュレーションという目的から出発する発想です。
 出発点が低ければたくさんやることはあるでしょう。
 その際もスタートは例えば工学の専門書や有限要素法の本,あるいはソフトウェアのマニュアルが最適です。
 何を言っているのかわからないが,今の自分が何がわからないのか自分で認識できるわけです。
 そして自分で何を勉強しようと考えて時間やお金と相談しながらプランを立てていきます。
 やり方は自分の責任の範囲で自由ですし,途中で変更することも自由です。さらには途中でシミュレーションよりほかの事に興味をもったならそっちに寄り道することも自由です。

 私達は多様性の中に生きています。ひとつのことに集中しなくてはいけない義務もありませんし,ひとつのことだけにこだわる必要もありません。寄り道しながら前に進んでいけばよいのです。寄り道した先で得た知識をシミュレーションに還元することだって大切です。したがって,このように本来勉強というのは時間がかかるのです。

 しかし,学校教育に10代の貴重な時間とエネルギーを浪費してしまうと,現実的にはなかなか本当の意味で才能を伸ばせる勉強ができるチャンスが失われかねません。
 ですから,今のようなつまらない学校であれば,学校に積極的に行かないということも十分選択肢になってくると思います。学校に行かないと集団生活に馴染めないという意見を多く聞きますが,じゃあ,今の学生は集団生活が得意なのでしょうか。いつも群れの中に身を置き,一人で学校の中も歩けない軟弱者を大量に育てているだけじゃないのでしょうか。つまり,現在の日本の学校に通うことと,集団行動能力を育成することとは全く別の問題です。むしろ毎日学校に通うほうがはるかに自己責任と勇気の欠落した集団軟弱者になってしまうのではないでしょうか。そんな人間になってしまっては,試験勉強ができようができまいが取り返しのつかない悲劇です。

 学校に行ってみたけど,つまらないので行きたくなくなったというならば,自分で勉強することになります。勉強するにしても,まずどんなことをやってみたいかという目的を明らかにして,そのために必要な科目を自主判断により選択して勉強する必要があります。日本人は,自分で決めた道を自分の責任で歩もうとする子供達をもっとサポートするべきです。

 それと,今の日本社会はとても息苦しいのです。学校に行かなくてもいいよと言うだけで救われる子供が大勢いることを知るべきです。嫌なら行かなくてもいいんだったら,もう少し学校に行ってみようかなって,子供は思うことを知るべきです。そういう配慮ができないから,大人は子供に信用されなくて逆に馬鹿にされていくのです。

 やや横道にそれましたが,こうなってくると,目的を達成する過程で必要な事柄はすべて勉強とみなして差し支えないでしょう。

 シミュレーションというのは総合的なツールで,簡単に思いつくものだけでも下記の要素を要求します。学校で一応教えてくれるのは下のうちのいくつかしかありません。本来主体的に勉強に取り組めばありとあらゆる経験が勉強になるのです。下に示す項目のいくつかはシミュレーションには関係がないと思われる方もおられるかもしれません。それはそれでかまいません。しかし、私は経験上,下の項目はすべてシミュレーションに関係していることだと思います。

シミュレーション関連分野

 上で要求されていることをひとつずつ取り組むことで,充実した勉強と経験を積むことができます。そして,目的を達成することを経験することができると考えます。さらに,上記の取り組みの過程で書ききれないほどの新しい展開を生んでいくはずです。つまり好きで勉強に取り組めば生きた勉強とたくさんのチャンスを作り出すことが可能です。

 やらされている試験勉強と,やりたいからやっている学問の間には天と地ほどの差があります。 シンプルに考えればよいだけのことです。

9 覚悟

 何度も言いますが,学校で科目別に勉強しましょうなんていう発想はすでに時代遅れの考えですし,非効率です。だいたい学校の授業の多くは退屈であり,学生はみんなはやく授業が終わることばっかり考えています。

 それは別の見方をすれば,現在提供されている授業コンテンツが無駄ということです。授業を実施することを目的としているのは先生だけです。授業の目的は,学生が学んで理解することです。目的を達成できていない以上,今の授業の多くは無駄なのです。

 学生側の能力不足や努力不足が原因であればそれを補う方法を用意するか,さらなる努力を要求するかなど対策が必要です。要するにやる気が無い人間は大学を辞めて下さいと言えばよいのです。

 しかし実態はそうではありません。学生がやめると学校経営に響くとか,先生の昇進や学内でのイメージが低下するとか,学生のことを言い過ぎるとかえって自分の普段の仕事振りを批判されることを考えると,辞めるのか努力するのか決然と要求することができないのです。その結果,研究室のレベルは低下し,やる気のある学生のやる気まで低下していってしまいます。やる気の有る学生の意欲の低下は,研究室の研究業績に直結していきます。結局,学校側の首を絞めます。今ではほとんどの研究室でアクティビティの低下に悩まされていることでしょう。

 特に学校側はスタッフ側であり,甘えたり言い訳はほどほどにして,現実をより良い方向に持っていく対策を考えるべきでしょう。
 少なくとも勉強の目的を達成できるように方法を変える必要があります。
 それでも成果が出ないなら先生を辞めるべきでしょう。
 他にも仕事はたくさんありまし,今のような荒廃した環境で先生を続けることは非常に心身疲れることです。
 学生も社会情勢の変化を受け,今までの学生のように単に腑抜けていては将来どうしようもない人間になってしまうことはわかっているはずです。
 もっともっと自分の力で好きなことを積極的に深く追求してこそ楽しい人生になるように思います。

 現在,CAEの実務の現場を支えるエンジニアの大多数が,学生時代にシミュレーションの勉強をしたことが無いという厳然たる事実があります。
 それでも,実務で要求されれば人間なんとかなるもので, シミュレーションの勉強はいつから始めても遅すぎるということはありません。

 私は,社会人になってから始める人がいる一方で,運用方法を間違わなければ中学生や高校生でもシミュレーションを始められるのではないかと考えています。
 中学生や高校生がシミュレーションに触れることで,自分の興味を喚起し,目的を明確化し,主体的に自分の判断で勉強に取り組むことができれば,日本の将来も捨てたものではないと思います。
 実験や実習作業は,学校の授業からほとんど姿を消しましたが,シミュレーションを授業に取り入れるれば決して実物ではないにしろ,学生の興味を十分に喚起できるだけの効果は期待できると思います。
 パソコンの普及がブームで各学校機関で購入が進んでいますが,生きた使い方に結びついているかは疑問です。
 シミュレーションを展開できれば面白くなると思います。もちろん,そのためには課題がたくさんあると思います。それを解決していくのが大人の仕事です。

 不況が長引き,世界経済の情勢がどんどん変化している中で,いまどき偏差値のために勉強している人間はいったい何を考えているのだろうと思います。好きで趣味的に偏差値を上げるのが楽しいという人はそれはそれでかまいませんが。
 学生の少子化で当分は学生数が少なくなり,大学すら全入の時代です。もちろん有名な大学に必ずしも入学できるわけではありません。
 また,大学に入学して卒業しても昭和の後半と平成の初期までのころのように,右肩上がりの社会人生活が送れる保証は全くありません。あと10何年後には日本という国家が経済破綻してしまうのではないかという危険すら叫ばれていることを考えれば,終身雇用と右肩上がりの経済を背景とした高偏差値大学への進学など妄言といってもよいでしょう。
 昔のように社会が個人の生活の安定を保証しなくなった以上,個人の努力がいっそう問われる時代になりました。
 これからは時間の使い方が大事になってきます。
 今までのような,おままごとの勉強ごっこや研究ごっこでは通用しません。
 学生は本気で取り組まねばなりません。

 いろいろな勉強があると思いますが,これから科学の勉強をしてみようと思う人がいたらCAEをお勧めします。今後,CAEは当初の言葉の意味である設計支援の範囲を超えて普及していくでしょう。
 また有限要素法などにこだわらず,差分法や境界要素法,あるいは物理シミュレーション,分子化学シミュレーション,制御シミュレーションなどシミュレーションはたくさんの分野で行われています。
 高性能パソコンや,高速通信網といった環境が整いつつある今こそ勉強を始めるチャンスです。
 日本に限らず,外国のサイトなども積極的に訪問すればきっと学校生活ではなかなか得られないようなホンモノの仲間が見つかると思いますよ。

 本当に実りのある科学の勉強をするにはCAEから始めてはいかがでしょうか。フリーのプログラムもたくさん配布されています。そういったものを自分で探すところからすでに勉強は始まっています。
 口だけで自分の手を動かすことを知らない人間は要りません。自分の手を動かして初めて勉強の面白さと大切さがわかるでしょう。

 このサイトのコンテンツはまだまだ未熟ですが常に発展途上にあることを明記させていただきたいと思います。

管理人自己紹介

筒井喜平 / Kihei Tsutsui
信州大学院卒
株式会社ランスモア代表取締役

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